相沢です。 ときどき、 「100人切りです」 とか、 「いやあ。 自分なんてまだまだ。 今月もやっと、 新規で4人ゲットした程度ですよ」 みたいな、 (まだまだの意味が分からん) もの凄い遊び人から 恋愛相談を受けます。 彼らの多くに共通するのは、 ・何人抱いても、渇きが癒えない ・何人やっても、満足できない ・常に「もっと凄い人」 と言われる男と自分を比較している です。 そうして、みな一様に まるで判で押したように 苦しんでいます。 まあ、苦しいから 僕のところに 相談に来るのでしょうが…… 恋愛コンプレックスとか せっ○スコンプレックスに 心を焼かれている感じ。 だから、 いつも苦しんでいます。 新しい女の子を見つけては あの手この手で せっ○スしようとして ちょっとでも 失敗しようものなら ひどく落ち込む。 あるいは うまくせっ○スしたとしても 「やったぜ、 今月やっと1ゲット。 これでトータル○人目」 と、その瞬間は 気持ちが良いようですが それこそまさに、 刹那(セツナ)の快楽。 あとは、どんよりとした 焦りを抱えて 目を血走らせながら 新しい女を探しはじめる。 若いうちなら まだ良いのですが、 そのまま 歳くったタイプは悲惨です。 新規の女。 射精する瞬間の、 つかの間の快楽。 これしかしてこないから。 積み重ねてきた 深い人間関係とか、 自分のスキルとか、 そういうのが無いから、 「今」という時間だけを 切り取ってみれば、 数十年間、自分の部屋で オナニーだけしてきた男と ほとんど差がありません。 あとは歳を取って 枯れてゆくだけ… 「いつまで、 それを続けるつもりですか?」 「分かりませんが 歳とったらやめたいです」 「それって具体的に何歳ですか?」 「……分かりません。 でも、もっと満足したら 止められそうです」 「具体的に どうなったら満足なんですか?」 こんなやり取りを続けた後 彼らはだいたい、 ふた言目には、 「あと○○人くらい 新しい子とせっ○スすれば、 自分に自信が持てると思います」 「もっといい女、 たとえば芸能人とかモデル級の女を あと10人くらい抱けば、 たぶん、満足して、 この苦しみから 解放されると思います」 って言います。 ほんとに、びっくりするくらい皆 同じことを言います。 カウンセラーとかに言わせれば ・性依存 という病名で 片付けられそうですが 僕の考えはちょっと違います。 たぶん、 ・女性に認められ 受け入れられた経験 が不足しているんだと思います。 だから、 根本的な部分で 女性に対する自信が無い。 女性に対する 根本的な自信がないから 必死になって せっ○スだけを 追いかけ過ぎてしまう。 「いやいや。相沢さん。 それは、おかしいでしょ。 素人を相手に 100人とせっ○スをした ということは、 100人もの女性から 受け入れられ、 認められたって事じゃあ ないんですか?」 僕は、違うと思います。 僕自身、昔、 かなり病んでいた時期があって つまりそれは 典型的な性依存症 だったと思うのですが、 僕は、 ちょっとここで言うのが 恥ずかしいくらい 沢山の女性と せっ○スしています。 その経験を踏まえて言えば、 たとえば 100人っていうのは 多すぎるんですよ。 つまり ・嘘をつき過ぎている んです。 キャバ嬢とか ホストとかと同じです。 彼ら、彼女らは お金と引き換えに、 お客さんに合わせて 様々なウソをつきますよね。 思ってもいないのに 「君に会いたかったよ」 とか、 やりたくもないのに 楽しそうにLINEを 続けてみたりとか。 本当は そんなキャラじゃないのに 無理して明るくふるまって 頑張って笑わせて 褒めて、いじって、 お姫様として扱って。 要するに お金と引き換えに、 ・相手の理想の男女を演じる わけです。 たぶん、 普通の生活環境にあって つまり自分の ハーレムを持っているとか、 そういう特殊な 人間でないかぎり 100人抱くっていうのは せっ○スと引き換えに 相手の理想の男を演じる という作業を 相当数行なっている はずなんですね。 これは、何を意味するのか? っていうと、 女性に受け入れられ 認められているのは、 「その女性を落とすために 演技している自分」 であって、 「本当の自分」 ではない。 つまり、 何人とせっ○スしようとも 「本当の自分」 を受け入れられた経験が無い。 もしくは、極端に少ない。 こういうタイプの遊び人が 100人やっても 200人やっても、 ちっとも満たされずに、 言いようの無い苦しみを抱えて、 僕のところに相談に来りします。 この根本的な 原因を探っていくと ・母親の愛 と関係がありそうです。 幼い頃に、 あなたが充分に母親の愛を感じて 育っているかどうか。 母親が実際に あなたを愛しているかどうか? ではありません。 その愛が充分に 伝わっているかどうか? あなたが、それを ちゃんと受け取っているかどうか。 これも、具体的なデータが あるわけではありませんので 僕の経験と 実感の範囲なんですが、 男でも女でも せっ○スの人数が多すぎる 人っていうのは、 女性であれば父親の 男性であれば母親の 『無償(むしょう)』の愛 が足りていない。 『無条件』に ありのままのあなたを 認め、受け入れてくれた そういう 感覚が不足しています。 男でも女でも 異性の親の愛に 不足を感じていると、 やりマン、やりチンに なりやすい気がします。 話が膨らみすぎてきたので 戻しますね。 「あなたの真実が 嫌われるのは、 あなたの偽りが 愛されるよりもいい」 フランスの小説家 アンドレ・ジッドの言葉です。 ウソの自分が 愛されてしまうと、 愛されるために ウソをつき続けなければ なりません。 そのウソが バレそうになったり、 自分のメッキが はがれそうになると、 急に怖くなったり メンドくさくなったりして 次の相手を探してしまう。 そういう悪循環に落ちます。 「ただ自分であることに満足し、 比較したり 競争したりすることが 無いのであれば、 すべての人が 君を尊敬するだろう」 中国の思想家で 老子という人の言葉です。 僕が一番好きな、言葉です。 相沢蓮也
相沢です。 今日のテーマは、 ・女性にナメられない方法 です。 色々と 女の子からは 体中をナメられたいけれども 男としては ナメられたくないですよね。 … 「女性からナメられやすい」 という相談は けっこうあって、 みなさん そいつを克服するために、 ・男としての価値を上げたい ・男として見られたい ・女性から軽く見られたくない ・もっと尊敬されたい ・一目おかれる存在になりたい ・頼りがいが欲しい ・オーラが欲しい と、悔しい思いを 胸に秘めながら 色々と 頑張っているわけですが さて、そもそも、 「女性にナメられる」 って どういう事なんでしょうか。 これを一言で表現しますと ・男が不平等感を感じている という状態です。 そしてほとんどの場合 その時、女性側は ・それが不平等だとは 認識していない です。 男は 「フェアじゃない」 と思い 女は 「そもそも何とも思っていない」 この状態におちいった時 男は、 「ナメられている」 と感じます。 例えば、 「約束していたのに 軽い感じで ドタキャンされた」 とか 「デートに何回誘って いくらかけても、 あと一線は 越えさせてもらえない」 とか、 「既に何十万、何百万も プレゼントしているのに キスさえさせてもらえない」 とか 「デートの約束に いつも平気で30分とか 1時間とか遅れてくる」 とか 「都合のいい時だけ 電話してきて たっぷり愚痴を聞くけど こちらから誘っても なかなか乗ってこない」 とか 「何度も自宅に 連れ込んでいるのに セっ○スをしようとすると いつも逃げられる」 とか この辺がよくある パターンなんですが、 要するに 男がその女性に対して 時間とお金とエネルギーを 『こんなにも』 そそいでいるのに 女性の方は 『それに見合ったリターンを』 返してくれない、と 『男が一方的に感じている』 状態です。 言いかえれば 男の気持ちの問題 なんですが 女の子側からすれば、 『それで充分に つり合いは取れている』 と認識しているわけですから、 ほんとに気持ちの問題です。 女が男を欲しがる気持ちよりも 男が女を欲しがる気持ちの方が 大きいときに、 この現象が起こりやすい。 この時、男女の間で 何が起こっているのか? 男は、その女の子のことが 欲しくて欲しくて 仕方がありません。 だから、あの手この手で お金と時間と エネルギーを注ぎ込みます。 ところが お金と時間とエネルギーを 注ぎ込まれた 女の子の方からすると そもそも、その男の事を 欲しがっていないため 注がれたお金とか時間とか エネルギーに対して たいした価値を感じられない わけです。 逆の立場で考えてみてください。 あなた自身が それほど重きを置いていない人物 同僚でも、上司でも、知人でも いいんですが、 そういう人から 一生懸命に メールをもらったり プレゼントをもらったり 食事をおごってもらったり あちこち連れて行って もらったりしたとしても そりゃあまあ 嬉しいといえば嬉しいけれども 正直ちょっと重たいですよね。 めんどくさい。 たとえば、 「おはよー」 という、たった一言の LINEであっても、 何とも思っていない 人物からもらう のか、 大好きな女の子からもらう のか、 で、 その価値って違いませんか? 価値というのは 言動そのものよりも、 『誰から』 あたえられたものなのか の方が重要だったりします。 だから、あなたが 「ナメられている」 と感じた場合 あなたが思っているほどには あなたの時間とお金と エネルギーに対して、 その女性は 価値を感じていない。 と、言えます。 だからあなたは まず最初に、 あなた自信の価値を 高めなければならない。 単なる、魅力不足。 魅力不足は、イコール 勉強不足だし 経験不足なんで、 女の子を口説く前に もっと人生頑張ってください。 努力が足りてません。 一方で、 そうでない場合もあります。 あなたの時間とお金と エネルギーに対して その女性は充分に 価値を感じていながらも そこに甘え過ぎて しまっているパターン。 この場合、 あなたは女性に対して はっきりと自分のルールを 示す必要があります。 平気で予定を ドタキャンしたり 無断で30分、1時間 と遅刻するようなら、 直接会っているときに 機会を見計らって、 「オレはそういうの 大嫌いだから。 お互いがお互いの 時間を尊重できないなら、 一緒にいる意味を感じない。 もしこのまま彼女(友達) として続けるのであれば、 そういう事は、もうしないで」 と、 毅然とした態度で伝える。 あなたの時間とお金と エネルギーに、 ちゃんと価値を感じている 女性であれば この一発で解決します。 感じていないなら 「うわっ、 こいつメンドクセー」 って思われて終わります。 どっちにしたって 男っていうのは、 自分の価値に見合った女性と 付き合うべきだと思いますし、 (人間は自分の価値に見合った 異性と付き合うべき) そこを無理して 背伸びして ナメられて イライラしながら その女性に対して一生懸命に あなたの時間とお金と エネルギーを 費やし続けるというのは、 はっきりいって 人生の無駄づかいです。 そこで使っている あなたの時間とお金と エネルギーは、 あなた自身の価値を 高めるために、 あなた自身に対して 使ってください。 自分より価値の高い 女性を手に入れようと、 そこに投資しても無駄です。 自分より価値の高い 女性が欲しければ、 自分が同じくらいの 価値になるまで、 自分に 自己投資し続けること。 時間もお金もエネルギーも すべて限られています。 その使い方を 間違えないでください。 相沢蓮也
「ああ……それにしても 女が欲しいっ………!!」 出だしのセリフは 『カイジ』という漫画の1頁 「ああ……それにしても 金が欲しいっ………!!」 ってフレーズの 『金』を『女』に変えたものです。 映画化もされているので この漫画を知っている人や 読んだ事ある人は 多いと思うんですが、 ギャンブルという テーマを通して、 人間の業の深さをエグって エグってエグリまくるような お話です。 その漫画のなかで 印象的なシーンがあって ある超巨大企業の会長が 壇上(だんじょう)から、 おおぜいの 幹部社員たちの前でこう言います。 「ククク…… むろん…というか…… 言うまでもなく…… わしは 持っておるっ…! この パーティー会場の誰よりも…… 持っておるっ……! 金をっ……! 円で… ドルで……! ユーロで…… 元で…! 持っておるっ…! ククク…… どこにネズミ…… 税務署のネズミが ひそんでおるか知れんから 大きな声では言えんが それぞれ…… 100億はくだらぬ 預金を持っておるっ……! 最近では…… 北半球にばかり 金を集中させるのも どうかと思い…… オーストラリア・ドルも 手にした…… ほんの50億ほどだが…… 転ばぬ先のなんとやらだ……! 常にリスクの分散は 怠らないっ……!」 すると、会場がざわめき始め やがて拍手のあらし。 会長コールが始まります。 両手を上げてその空気に 酔うような顔の会長 … … ところが、次の瞬間、会長は バンッ!! と机をたたき、怒鳴ります。 「バカがっ……!」 静まり返る会場。 そしてワナワナと震えながら 「足らんわっ… まるで…!!」 シーンとする会場。 「わしは…… もっともっと… 欲しいんじゃっ……! 円を…! ドルを…! ユーロを……! まい進せよっ……! かき集めるんじゃっ…! 世界中の金をっ…! 人間の欲望はつまるところ 金につきるっ……! それを牛耳る金貸しこそ…… 王っ…! 築くんだっ……! 王国をっ……!」 と、まあこんな感じで 幹部社員たちに 激を飛ばすわけです。 そして、このシーンの冒頭に バーンと描かれた文字が、 「ああ……それにしても 金が欲しいっ………!!」 です。 金と女っていうのは 似たところがあって、 満たしても、満たしても、 渇きます。 海水を飲むようなものです。 飲んでも飲んでも、 いや、 飲めば飲むほど、 さらに喉がかわきます。 彼女が欲しい。 せふれが欲しい。 1度でいいから、 本当に好きになった女と…… 100人はやりたい。 1000人はやりたい。 手に入れるたびに、 大きな 喜びとともに、訪れる なんだ、こんなものか という感慨 そして次の欲望が湧く。 次々とわき続ける。 こういう 人間の欲望の深さとか、 業(ごう)の深さみたいなモノ を見つめていると、 (『恋愛相談』という形で 僕は毎日、 こういうメールを もらっていますので) その 「欲しいよ~。 欲しいよ~……っ!」 というメールの嵐に 気持ちが重たくなり たまに死にたくなります。 … ウソです。 死にたくなるは 言い過ぎました。 でも毎日、見知らぬ人の 深い欲望を受けとめ続ける ってのは 思いのほかシンドイもので はじめてこうして 弱音を書いてみました。 キャバ嬢の気持が 分かる気がします… もう書きません。 で、今日はぜんぜん違うお話 ちょっと恋愛を勉強しだすと 8割くらいの男性が ある勘違いをし始めます。 それが、 「女性に優しくすると 男の価値が下がる」 です。 こう勘違いしている男が 非常に多い! こう勘違いする男の 典型的なパターンというか 歴史(?)があって、 1、 好きな女性に、好かれたくて めっさ優しくした。 2、 にも関わらず、フラれた 3、 どこかの恋愛マニュアルで 「女に媚びるな!」 と書いてあった。 4、 なるほど 自分は女に媚びていた。 優しくすると 女はつけ上がるんだ。 もっと上から目線で 強気に攻めなくては いけなかったのか。 … … と、こんな感じで 女性に対する優しさや 気遣いを止めようとします。 で、結論から言うと、 ・女性に優しい男はモテます!! これは、絶対です。 でも、 ・女性に媚びる男は見下されます。 これもまた、事実です。 じゃあ 優しさや気遣いと、媚び の違いは何なのか? という疑問に行きつきます。 そこで あるコンサルでの会話。 生徒 「今まで自分は 女性に対して 優しくし過ぎていました。 それが 自分の価値を下げていて だから フラれたんだと思います。」 相沢 「なるほど。 ところで、あなたが言う 『優しくした』 というのは、 具体的に、どのような 行動を指して言ってますか?」 生徒 「う~ん。そうですね。 たとえば、エレベーターで ボタンを押してあげたり ドアを開けてあげたり…」 さて、これを聞いたあなたは どう思いましたか? エレベーターで ボタンを押してあげたり 女性のために ドアを開けてあげたりすると あなたの価値は落ちますか? 付け加えると、 女性のコートを ハンガーに掛けてあげたり 居酒屋でお皿をとってあげたり こういうちょっとした 気遣いをすると あなたの価値は落ちますか? よ~く、考えてください。 … … … … … … … … 「もちろんですっ! 男は女の 召使じゃないんです。 そんな事したら、甘く見られますよ 相沢さんっっ!!」 って思った人も、 「いや、女性は チヤホヤされたい生き物です。 そうやって お姫様扱いしてあげると喜ぶんです」 って思った人も、 僕は、両方とも 半分正解で、半分不正解 だと思います。 エレベータで ボタンを押してあげたり 女性のために ドアを開けてあげたり コートを ハンガーに掛けてあげたり 居酒屋でお皿をとってあげたり まったく同じ動作をしたとして 男としての価値が下がる人間と むしろ上がる人間、 2種類います。 ちょっと想像して欲しいんですよ。 たとえば 年商150億円くらいの企業の 70歳くらいの会長が、 あなたのために、 エレベーターのボタンを 押してくれたり ドアを開けてくれたとして じゃあ、その時 あなたの中で、 この年商150億円の企業の 会長の価値が下がりますか? 「ちっ! オレなんかのために ドアを開けやがって! つまんねージジイだぜっ!!」 って思いますか? って話なんです。 エレベータのボタンを 押してあげたり 女性のために ドアを開けてあげたりする その程度で落ちるほど 『男の価値』は低くありません。 じゃあ、 どんな場合に落ちるのか? 答えは、 普段は、そういった 気遣いをしない男が その女性に対してだけ、 ボタンを押したり、 ドアを開けたりした場合。 でしょう。 こういう 気遣いの動作ってのは 体に染みつくものです。 だからこそ やり慣れていないと それはギコチなさや 不自然さとなって体に表れます。 そのギコチなさや不自然さを 女性は敏感に感じ取り 無意識のレベルで、 「あ、こいつ私に媚びてる。 私が欲しいんだ」 と直感し、その場合のみ 男の価値は下がります。 普段から、 爺さん婆さんや子供、同性から ただの知り合いに対してまで、 ちゃんと同様の気遣いや 優しさが出来ていればいいんです。 それは日常の洗練された 動作となって表れ、 紳士的な振舞いとして 女性に伝わります。 だから、モテます。 でも逆に、 普段は誰に対しても雑なくせに 好きな女性に対してだけ それをやるから ・媚びている ことが『見抜かれます』 だって、媚びてますよね。 その女性に対してしか やっていないなら それは紛れもなく 『媚び』です。 別に優しいから あなたの価値が下がったのでは ありません。 本当に『媚び』ていたんです。 ただ、それを 見抜かれただけです。 あなたが、 老若男女誰に対しても 紳士的であるならば、 堂々としていればいいんです。 それが、あなたの スタンダードであるならば 誰にも文句を言われる 筋合いは無いし、 誰にも恥じることはありません。 好きな女性に対してだって 同じように 接すれば良いんですよ。 また、こういうのは 部分的なセリフや 動作の問題じゃないので、 LINEのやり取りなんかにも 表れてしまいます。 よくあるパターンなんですが 気になる女性と やり取りするとき、 「将来の夢に向けて 努力できてエライね」 「素晴らしい友人がいるんだね」 「思い立ったら行動できるんだから 凄いなって思うよ」 と、褒めます。 持ちあげます。 「LINEしてくれてありがとうね」 と、気を使います。 好きな女性に対して こういうLINEを 送ってしまう男は多いんですが 一度、 冷静にながめてみてください。 こういう感じの気遣いや 優しさの言葉、 たぶん、あなたの大切な 仲の良い 男友達には送りませんよね? この女性にだからこそ あなたはこれらの 言葉を投げかけた。 この女性に対してだけ。 それを 『媚びている』と言います。 本当の優しさとは何か? 誰にも媚びない。 それでいて 優しい男でありたいですね。 相沢蓮也
相沢です。 たとえば中学とか高校の時 『恋愛』っていう科目が ないのは 不思議といえば、不思議です。 国語・数学・理科・社会 保健体育に それから、恋愛。 たしか中学校くらいまでは 『道徳』っていう科目が あったような気がします。 『道徳』があって なんで『恋愛』はないんだろう。 『道徳』っていうのは 独りよがりの独善家を 育てるような要素が強いので コミュニケーション能力とか 本当に 相手の気持ちを読み解き 考え、自分の感情と戦う という意味で よっぽど『恋愛』の方が 心を育てると思うのですが…… そういえば ある『道徳』の先生は 『道徳』のスペシャリストとして その学校の権威なんですが 絶対に自分のミスを認めずに しょっちゅう 立場が弱い先生をどなり散らし いつも誰かのせいにして 目下の人間に対しては 一切謝ることが出来ず 自分のクラスの 親からのクレームを 栄養士のせいにして、 「おまえのせいで オレの 親からの信頼が傷ついた。 だから今 オレに謝罪しろ!」 って言って しぶしぶ謝る栄養士を さらに責め、 「お前は謝罪の仕方も 知らないのか!? 謝罪っていうのは 土下座だろう!!」 って言って 土下座させたそうです。 自分の罪を 他人になすりつけた上で 土下座までさせる。 自分の見栄とプライドを 守ることに必死。 この先生には他にも、 自分の勘違いである事に 気がつかないまま 授業中 他人のクラスに乗り込み クレーム (いきなり怒鳴りこむ) を付けたところ、 1、 そもそも、 クレームをつける相手を 間違っていた。 2、 クレームを付けられた先生は 「ポカン…」 3、 続いて、その先生には 一切謝らないまま 別の先生の教室に乗り込み どなり散らした。 4、 実は、自分の 勘違いである事が発覚。 5、 当然、授業中にいきなり 乗りこまれた先生は 怒りだすが、逆切れして わめき散らす って感じですが この『道徳』の スペシャリストは 校長から 厚い信頼を得ているんだとか。 こんな漫画みたいな 絵に描いたようなクズが 本当に、教師として、 しかも 『道徳』のスペシャリスト としてのさばっているんだから 学校とは恐ろしい社会です。 いや、本当に 実話なんですって。 僕もドン引きしました。 恋愛を教えるというのは かなり特殊な感じがするし、 『恋愛』という科目が 無いのが不思議 とか言いながらも、 本当のところは 「やっぱり、そりゃあ 学校で 教えることじゃねぇよな…」 とも本当は思うんですが 一方で 他人を見つめ 自分の内面と葛藤し あらゆる感情と戦い 克服してゆくその過程は これほど 人間を育てるステージも 珍しい。 とりあえず ゴールを設定しないと どこに向かっていいのか 分からないんで、 ・好きな女性を落とす とか ・たくさんセっ○スする とか 便宜上、 そういう目標を設けますが 僕が恋愛に対して 真剣に取り組むことの 真の意味を感じるのは、 やっぱりその過程です。 その過程でみなさん とことん 自分の弱さを思い知ります。 どれほど自分が未熟なのかを 嫌ってほど突き付けられます 自分の凡庸さにウンザリします。 何度悔しい思いをしても その上でまだ 悔しい思いを 重ねなきゃならない。 ほとんど苦行としか 思えない時間がいかに長いか。 でも、そうやって とことん自分を見つめ とことん、 目の前の女性という 『他人』 を必死になって 理解しようとして その『他人』に対して 必死になって 交渉しようとして 必死になって 表現し 自分を伝えようとし続けて 何度も何度も失敗しながら やっとの思いで 到達する 「たったの一歩」 そのわずかな一歩が どれほど嬉しいか。 どれほど 自分を成長させてくれるのか。 クソみたいな プライドなんて、 まったく通用しない 世界じゃないですか。 権威も見栄も、プライドも 虚像は一切、通用しない世界。 だって どんな理屈をこねたって どんな正義を 振りかざしたって どんな「いい話」を してみたって、 女性から 「めんどくさ…」 って思われたら それで終わり。 その結果が全て。 これほど分かりやすく ストレートに 自分をごまかせない 世界なんです。 ガキ相手に えらそうに説教して 気にいらなければ 自分より立場の弱い人間に 土下座させて チープなプライドを 満足させている。 そんなノンキな商売とは 次元が違います。 『恋愛』を教える なんていうのは、 おこがましいといえば おこがましい。 自分だって 未熟を痛感する毎日です。 「どうしたら最短で 女の子とえっちできるか」 を真剣に議論しているなんて 正直、親には言えません。 自分は、 風俗嬢やAV嬢に近い 存在だと思っています。 仕事は面白いし 社会的な意味も 感じているけれども、 親には言えない商売。 残念ながら 一生続けられるとは 思いませんが、 いま、この瞬間は あなたと僕自身の 成長のために、 真剣に取り組んでいます。 相沢蓮也
相沢です。 今日のお話は 欲しい女を手に入れるための 究極の答えです。 ガチです。 真剣に受け止めてください。 泉谷閑示さんというカウンセラー の文章が好きです。 彼の著書『「普通がいい」という病』 の中に、「五本のバナナ」 というお話があります。 ----------------- 「五本のバナナ」 バナナが大好きな旅行者が、 ある貧しく暑い国を旅しています。 その国には、 道端に物乞いがたくさんいます。 旅行者は、 物乞いに施しをしようと考えます。 彼はちょうど大好物のバナナを 五本持っていました。 普段の彼は、 三本食べると満腹になり、 満足します。 でも彼は 自分で食べるのは二本で 我慢することにし、 残りの三本を気の毒な 物乞いにあげました。 しかしこの物乞いは バナナが大嫌いで、 一言のお礼も言わず、 彼の目の前で、 地べたにバナナを 捨てたのでした。 ・・・ さて、 バナナをあげた旅行者は いったい、どんな気持ちに なったでしょうか。 自分は我慢して施したのに 感謝もなく 恩知らずな物乞いに腹が立ち 怒り心頭でしょう。 しかし、もし自分が 三本のバナナを食べて、 残りの二本は、 どうせ腐ってしまうのだからと 物乞いに差し出していたら どうでしょうか。 そもそも自分でも 食べきれずに捨てた はずなのですから、 それほど腹も立たないでしょう。 この一本の違いが、 「愛」と「欲望」 の違いを生むのです。 我慢してあげた一本は、 感謝と言う見返りを 期待してしまっている、 「偽善のバナナ」になるのです。 我慢した一本に 何が込められているかといえば それは同情心です。 そして、その奥に 「感謝して欲しい」 「善い人と思われたい」 「善いことをしたという 自己満足が欲しい」 などが潜んでいる。 それは善い行いのように見えて やはり「欲望」です。 一方 「たまたま余ったので、 捨てる代わりに ご自由にお役立てください」 という場合には、 仏教でいうところの 「喜捨」 喜んで捨てるという 行為になります。 表面だけ善人のように 整えても駄目で、 等身大でなければ 不純なものに変わる。 ですから 「愛」のために 私たちができる第一歩は 逆説的ですが、 まず自分を きちんと満たしてやること なのです。 面白いことに、 人間は自分を満たしても、 必ずいくらかは 余るようにできている。 この余ったものを使ったときには 「愛」の行為になるのです。 ---------------- 愛と欲望に関する明察。 男っていう生き物は どうしても 手に入れたい女性を 目の前にすると 我慢して 一本余計に与えようとします。 「偽善のバナナ」って奴を。 そこには必ず、 感謝して欲しい、 見返りが欲しい、 という意図が見え隠れします。 女性は男の100倍くらい 直感が優れているので、 「なんとなく」 という言葉で これを察知します。 だから、 与えても与えても 振り向いてもらえない。 男は男で、 「我慢して」与えたものだから 与えれば与えるほど、 ・元を取らなければ!! という気持ちが 積み重なり、焦る。 1人の女性に執着する。 その焦りと執着を 女性は鋭く感じとり ますます距離を置こうとする。 悪循環。 やっぱり 5本のバナナのうち、 無理なく与えられるのが 2本であれば、 3本も与えちゃ いけないんですよ。 不自然な気持ち悪さ 見返りを求めた重たさ として、『必ず』伝わります。 ここで1つ、 大きな問題が起こります。 女性のレベルが、高かった場合。 つまり、 あなたのバナナよりも 大きくて立派で、 美味しいバナナを沢山の男から 5本も6本も、 もらうことが当たり前の 日常を送っていた場合。 (もちろん、 バナナはお金や物質のみを 指し示すものではありません。 トークや安心等、 人生観等あらゆる価値です) 貧弱なバナナを 2本与えたところで、 それじゃあ 振り向かせようが無いんです。 かといって、無理して3本 4本与えてみたところで 必ずそこには、 不自然な気持ち悪さや 下心が発生する。 必ず!!! そして、必ず女性はそれを見抜く。 必ずです!!! 結局、価値の高い レベルの高い女性を 落としたければ、 自分がもっと立派で美味しくて 大きなバナナを 何本も持つしか ないんじゃないでしょうか。 立派で大きくて美味しいバナナを 10本も持っていれば、 そのうち3本を自分が食べても 7本も、別の女性に プレゼントできますよね。 無理なく、 下心なく、気持ち良く。 いい女を抱きたければ、 自分の価値=バナナの質と本数 をあげていくしかない。 あなたが5本のうち 3本食べて満足するとして 2本与えただけじゃ その女性を落とせないなら あなたがやるべきことは 無理して3本、4本と 与える事じゃありません。 今の自分が 欲しいと思う女性の価値に 見合っていないという事実を 真摯に受け止め、 自分を磨いてください。 今の自分から変わろうとしなきゃ、 価値の高いモノを得るには それに見合った価値を 身に付ける以外にありません。
相沢です。 以前、 「男の価値やステータス」 についてお話して 反響が大きかったので その続きです。 ・好意がバレると 男としての価値が下がる ・好きだとバレたら ステータスが下がる この考え方のズレや誤解について 詳しくお話したわけですが、 好きだとバレるバレない云々とか は置いといて、 じゃあ、実際はどういう時に 男の価値やステータスが 下がってしまうのか? その答えは、 一言で言い尽くせないほど たくさんあるので 困ってしまうのですが、 ・好意がバレると こちらの価値が下がる と勘違いしている人に 当てはまりそうなのは、 ・相手によって 自分のルールを曲げてしまう じゃないかな、って思います。 「他の人なら許さないけど 可愛いから許しちゃう」 「好みだから、美人だから ルールを曲げて譲っちゃう」 とか。そういう感じです。 こういうのが、 『媚びた態度』 『おもねった雰囲気』 となって伝わり、 男の価値・ステータスを下げます。 例えば、 僕は無断の遅刻を 許さないことにしています。 事前に連絡さえくれれば 1時間だろうが 2時間だろうが、 遅刻してもらっても まったく気にならないんですが、 無断だと、許しません。 女性との待ち合わせで その女性が5分 連絡なしで遅刻したら 迷わず帰ります。 たとえ相手が、 どんなに美人だろうが どんなに、その日 やれそうな気配がしていようが、 です。 実際、 あるパーティーで出会った そのパーティーでは 一番人気だった すっげぇ綺麗な女性と デートの待ち合わせをしたとき、 その子が無断で 5分たっても来なかったので さっさと帰りました。 その更に10分後くらいだったか 何事もなかったかのように その子から 「着いたよ~」 ってLINEが届いたんですが 「もう来ないと思って、 帰りの電車に乗っちゃった」 って返信したら、 なんか怒ったり、 謝ったりと、 忙しく連絡してきたんですが その内容に 納得できなかったので その子とはそれで 終わらせました。 話は変わりますが、 ある人が、 「自宅に女性を招き入れても その先ではぐらかされてしまう。 ヤレそうでヤレない。 そうやっているうちに 女性にナメられます」 って言ってて、 それを聞いた僕の友人は 「自分なら、 部屋に来ておきながら いざせ●クスってなった時 ゴネる女がいたら 家から追い出す」 と言ってました。 彼なら本当に追い出すでしょう。 相手が美人だろうがなんだろうが。 こういうルールが、 男の価値を決めます。 ルールって点で言うと 他にも、たとえば僕は、 食事代を全て男が出した時 「ありがとう」 の一言がいえない女性は、 その場で切ります。 あと、昔、尊敬していた ホストから聞いたんですが 一流のホストは絶対に 枕営業をしないそうです。 好みの外見だから こっそり抱いちゃうとか 絶対にしない。 客とは寝ないと決めたら 相手が誰であれ、 そのルールは曲げない。 だから、周りが思うほど 女性の経験人数は多くはなく 20代前半で3人とか4人とか それでナンバー1とか けっこうあるそうです。 その代わり めちゃくちゃモテるし メチャクチャ稼ぐ。 信者のような女性が バンバン金を落とす。 かたや、二流三流のホストほど ちょっと可愛いとすぐやっちゃって そんな甘い気持ちと 時間の使い方だから いつまでたっても 稼げないんだとか。 この話を聞いているから 僕は 「何百人切り」 とかいってるような 元ホストの類を信用していません。 ああ、二流の人ね、と。 … こんな感じの話をしていた時 その場にいた もう1人の友人が、 「自分は、自分を 拘束しようとしてきたら その女は切ります」 と言いました。 まあ、これも ルールっちゃルールなんですが 男を 拘束しようとしてくるって時点で すでに、その女性は落ちてるので、 今回いう、男の価値とか ステータスとは 関係ないルールだと思います。 … … 念のため言っておきますが 「女が5分遅刻したら、 さっさと帰れ」 とか 「直前でグダりだしたら 家を追い出せ」 とか、 そういう話じゃないですよ。 ルールってのは、 何でもいいんです。 自分の価値観から発生していれば。 でも、それを相手によって コロコロ変えたりしない。 ・女性の美人度とか、ヤレそうとか そういうのに左右されて フラフラしない。 状況に応じて対応を変える という柔軟性は大切ですが、 女性から性的魅力を 目の前にぶら下げられて、 それで「わんわん」言って 媚びてしまうようじゃあ、 あなたの価値は、その程度ですよ、 ってお話です。 相沢蓮也
相沢です。 僕のメルマガでは たまにクイズを 出題していて たしかあれは、 「どうやって女性を 動かせばよいか?」 「相手の考えを崩すには?」 といった質問を してくる男の考え方に共通する 間違った思考とは何か? とか、そんな感じのものです。 こういうクイズは 好評が良くて かなり沢山の人から 「答え」のメールを もらうんですが。 その中でひとり、 とても印象深い人がいました。 彼もそのクイズに 答えてくれた一人なんですが 何が印象的って、彼、 メチャクチャ厳しいんです。 具体例に挙げた 「どうやって女性を 動かせばよいか?」 「相手の考えを崩すには?」 という台詞を言った 男に対して 何か恨みでも あるんじゃないのか? ってくらいに。 努力をしてない そのクセ 一瞬で効果を求める 段階を踏まないのに いきなり最上階を求める 自分の弱点を分かっていながら 準備をしない 戦略ばかり考え過ぎている 相手のことを考えていない さらに 自分で行動できない 他人のアドバイスを 受け入れられない 人のせいにする いいわけをする 僕が出題した具体例だけでは いくらなんでも ここまでは言えないだろう… と。 が、一方で、 彼がこういった厳しい言葉を 羅列する様を見ていて、 「たぶんこれって 彼が、彼自身に向けて 放っている 言葉なんじゃないかな?」 って感じました。 そこで試しに 「自分で自分を 責めているのでは?」 というような返事をすると 「クイズが 自分のことのように思えて ついつい厳しく なってしまいました」 と、返ってきました。 で、彼自身のことを 色々と教えてくれたんです。 自分がいかに モテなかったか。 どうやってそこから 這い上がったか。 日々焦っていて 自分に負けたくなくて、 他人に負けたくなくて。 歩みを止めたら あの頃に戻ってしまいそうで。 怠けてしまう 自分が許せなくて そういう自分に ガッカリしてしまって。 なんだか、 彼の話を聞いているうちに 「オレだってそうだよ。 まったく同じじゃん。」 とか思っちゃって。 結局 「もっと自分に 優しくしてください」 なんて、いかにもな アドバイスをしちまいつつも 「ああ。そりゃあ、 僕自身のことだ。 その言葉を、過去の自分に 向けて言ってるんだ」 僕が、 過去の自分に向けて 「もっと自分に 優しくしてください」 って。 … … … モテるための メルマガを書いていながら あえて、 あなたに聞きたいです。 モテないって そんなに悪いことですか? 彼女イナイ歴って その人間の価値を決めますか? 女と上手くしゃべれないって だから何ですか? そうじゃないと思うんですよ。 男の価値ってさ。 そうじゃないですよね。 僕はもっと気楽な気持ちで エンターテイメントとして 女性と楽しんで欲しいな って思います。 あなたの価値は 既に100%なんです。 100%を 120%とか 130%にするために 女性と遊ぶんです。 女性を口説くんです。 決して、 60%や70%といった 欠落した人生を 穴埋めするようなスタンスで 女性を口説いて 欲しくはありません。 この差、超重要です。 本当に重要なんです。 本当にイイ男ってのは 自分が100%であることを 心の底から信じています。 だから、モテる。 … … … あなたの人生は いま、何パーセントですか? 相沢蓮也
相沢です。 ときどき、 「100人切りです」 とか、 「いやあ。 自分なんてまだまだ。 今月もやっと、 新規で4人ゲットした程度ですよ」 みたいな、 (まだまだの意味が分からん) もの凄い遊び人から 恋愛相談を受けます。 彼らの多くに共通するのは、 ・何人抱いても、渇きが癒えない ・何人やっても、満足できない ・常に「もっと凄い人」 と言われる男と自分を比較している です。 そうして、みな一様に まるで判で押したように 苦しんでいます。 まあ、苦しいから 僕のところに 相談に来るのでしょうが…… 恋愛コンプレックスとか せっ○スコンプレックスに 心を焼かれている感じ。 だから、 いつも苦しんでいます。 新しい女の子を見つけては あの手この手で せっ○スしようとして ちょっとでも 失敗しようものなら ひどく落ち込む。 あるいは うまくせっ○スしたとしても 「やったぜ、 今月やっと1ゲット。 これでトータル○人目」 と、その瞬間は 気持ちが良いようですが それこそまさに、 刹那(セツナ)の快楽。 あとは、どんよりとした 焦りを抱えて 目を血走らせながら 新しい女を探しはじめる。 若いうちなら まだ良いのですが、 そのまま 歳くったタイプは悲惨です。 新規の女。 射精する瞬間の、 つかの間の快楽。 これしかしてこないから。 積み重ねてきた 深い人間関係とか、 自分のスキルとか、 そういうのが無いから、 「今」という時間だけを 切り取ってみれば、 数十年間、自分の部屋で オナニーだけしてきた男と ほとんど差がありません。 あとは歳を取って 枯れてゆくだけ… 「いつまで、 それを続けるつもりですか?」 「分かりませんが 歳とったらやめたいです」 「それって具体的に何歳ですか?」 「……分かりません。 でも、もっと満足したら 止められそうです」 「具体的に どうなったら満足なんですか?」 こんなやり取りを続けた後 彼らはだいたい、 ふた言目には、 「あと○○人くらい 新しい子とせっ○スすれば、 自分に自信が持てると思います」 「もっといい女、 たとえば芸能人とかモデル級の女を あと10人くらい抱けば、 たぶん、満足して、 この苦しみから 解放されると思います」 って言います。 ほんとに、びっくりするくらい皆 同じことを言います。 カウンセラーとかに言わせれば ・性依存 という病名で 片付けられそうですが 僕の考えはちょっと違います。 たぶん、 ・女性に認められ 受け入れられた経験 が不足しているんだと思います。 だから、 根本的な部分で 女性に対する自信が無い。 女性に対する 根本的な自信がないから 必死になって せっ○スだけを 追いかけ過ぎてしまう。 「いやいや。相沢さん。 それは、おかしいでしょ。 素人を相手に 100人とせっ○スをした ということは、 100人もの女性から 受け入れられ、 認められたって事じゃあ ないんですか?」 僕は、違うと思います。 僕自身、昔、 かなり病んでいた時期があって つまりそれは 典型的な性依存症 だったと思うのですが、 僕は、 ちょっとここで言うのが 恥ずかしいくらい 沢山の女性と せっ○スしています。 その経験を踏まえて言えば、 たとえば 100人っていうのは 多すぎるんですよ。 つまり ・嘘をつき過ぎている んです。 キャバ嬢とか ホストとかと同じです。 彼ら、彼女らは お金と引き換えに、 お客さんに合わせて 様々なウソをつきますよね。 思ってもいないのに 「君に会いたかったよ」 とか、 やりたくもないのに 楽しそうにLINEを 続けてみたりとか。 本当は そんなキャラじゃないのに 無理して明るくふるまって 頑張って笑わせて 褒めて、いじって、 お姫様として扱って。 要するに お金と引き換えに、 ・相手の理想の男女を演じる わけです。 たぶん、 普通の生活環境にあって つまり自分の ハーレムを持っているとか、 そういう特殊な 人間でないかぎり 100人抱くっていうのは せっ○スと引き換えに 相手の理想の男を演じる という作業を 相当数行なっている はずなんですね。 これは、何を意味するのか? っていうと、 女性に受け入れられ 認められているのは、 「その女性を落とすために 演技している自分」 であって、 「本当の自分」 ではない。 つまり、 何人とせっ○スしようとも 「本当の自分」 を受け入れられた経験が無い。 もしくは、極端に少ない。 こういうタイプの遊び人が 100人やっても 200人やっても、 ちっとも満たされずに、 言いようの無い苦しみを抱えて、 僕のところに相談に来りします。 この根本的な 原因を探っていくと ・母親の愛 と関係がありそうです。 幼い頃に、 あなたが充分に母親の愛を感じて 育っているかどうか。 母親が実際に あなたを愛しているかどうか? ではありません。 その愛が充分に 伝わっているかどうか? あなたが、それを ちゃんと受け取っているかどうか。 これも、具体的なデータが あるわけではありませんので 僕の経験と 実感の範囲なんですが、 男でも女でも せっ○スの人数が多すぎる 人っていうのは、 女性であれば父親の 男性であれば母親の 『無償(むしょう)』の愛 が足りていない。 『無条件』に ありのままのあなたを 認め、受け入れてくれた そういう 感覚が不足しています。 男でも女でも 異性の親の愛に 不足を感じていると、 やりマン、やりチンに なりやすい気がします。 話が膨らみすぎてきたので 戻しますね。 「あなたの真実が 嫌われるのは、 あなたの偽りが 愛されるよりもいい」 フランスの小説家 アンドレ・ジッドの言葉です。 ウソの自分が 愛されてしまうと、 愛されるために ウソをつき続けなければ なりません。 そのウソが バレそうになったり、 自分のメッキが はがれそうになると、 急に怖くなったり メンドくさくなったりして 次の相手を探してしまう。 そういう悪循環に落ちます。 「ただ自分であることに満足し、 比較したり 競争したりすることが 無いのであれば、 すべての人が 君を尊敬するだろう」 中国の思想家で 老子という人の言葉です。 僕が一番好きな、言葉です。 相沢蓮也
相沢です。 今日のテーマは、 ・女性にナメられない方法 です。 色々と 女の子からは 体中をナメられたいけれども 男としては ナメられたくないですよね。 … 「女性からナメられやすい」 という相談は けっこうあって、 みなさん そいつを克服するために、 ・男としての価値を上げたい ・男として見られたい ・女性から軽く見られたくない ・もっと尊敬されたい ・一目おかれる存在になりたい ・頼りがいが欲しい ・オーラが欲しい と、悔しい思いを 胸に秘めながら 色々と 頑張っているわけですが さて、そもそも、 「女性にナメられる」 って どういう事なんでしょうか。 これを一言で表現しますと ・男が不平等感を感じている という状態です。 そしてほとんどの場合 その時、女性側は ・それが不平等だとは 認識していない です。 男は 「フェアじゃない」 と思い 女は 「そもそも何とも思っていない」 この状態におちいった時 男は、 「ナメられている」 と感じます。 例えば、 「約束していたのに 軽い感じで ドタキャンされた」 とか 「デートに何回誘って いくらかけても、 あと一線は 越えさせてもらえない」 とか、 「既に何十万、何百万も プレゼントしているのに キスさえさせてもらえない」 とか 「デートの約束に いつも平気で30分とか 1時間とか遅れてくる」 とか 「都合のいい時だけ 電話してきて たっぷり愚痴を聞くけど こちらから誘っても なかなか乗ってこない」 とか 「何度も自宅に 連れ込んでいるのに セっ○スをしようとすると いつも逃げられる」 とか この辺がよくある パターンなんですが、 要するに 男がその女性に対して 時間とお金とエネルギーを 『こんなにも』 そそいでいるのに 女性の方は 『それに見合ったリターンを』 返してくれない、と 『男が一方的に感じている』 状態です。 言いかえれば 男の気持ちの問題 なんですが 女の子側からすれば、 『それで充分に つり合いは取れている』 と認識しているわけですから、 ほんとに気持ちの問題です。 女が男を欲しがる気持ちよりも 男が女を欲しがる気持ちの方が 大きいときに、 この現象が起こりやすい。 この時、男女の間で 何が起こっているのか? 男は、その女の子のことが 欲しくて欲しくて 仕方がありません。 だから、あの手この手で お金と時間と エネルギーを注ぎ込みます。 ところが お金と時間とエネルギーを 注ぎ込まれた 女の子の方からすると そもそも、その男の事を 欲しがっていないため 注がれたお金とか時間とか エネルギーに対して たいした価値を感じられない わけです。 逆の立場で考えてみてください。 あなた自身が それほど重きを置いていない人物 同僚でも、上司でも、知人でも いいんですが、 そういう人から 一生懸命に メールをもらったり プレゼントをもらったり 食事をおごってもらったり あちこち連れて行って もらったりしたとしても そりゃあまあ 嬉しいといえば嬉しいけれども 正直ちょっと重たいですよね。 めんどくさい。 たとえば、 「おはよー」 という、たった一言の LINEであっても、 何とも思っていない 人物からもらう のか、 大好きな女の子からもらう のか、 で、 その価値って違いませんか? 価値というのは 言動そのものよりも、 『誰から』 あたえられたものなのか の方が重要だったりします。 だから、あなたが 「ナメられている」 と感じた場合 あなたが思っているほどには あなたの時間とお金と エネルギーに対して、 その女性は 価値を感じていない。 と、言えます。 だからあなたは まず最初に、 あなた自信の価値を 高めなければならない。 単なる、魅力不足。 魅力不足は、イコール 勉強不足だし 経験不足なんで、 女の子を口説く前に もっと人生頑張ってください。 努力が足りてません。 一方で、 そうでない場合もあります。 あなたの時間とお金と エネルギーに対して その女性は充分に 価値を感じていながらも そこに甘え過ぎて しまっているパターン。 この場合、 あなたは女性に対して はっきりと自分のルールを 示す必要があります。 平気で予定を ドタキャンしたり 無断で30分、1時間 と遅刻するようなら、 直接会っているときに 機会を見計らって、 「オレはそういうの 大嫌いだから。 お互いがお互いの 時間を尊重できないなら、 一緒にいる意味を感じない。 もしこのまま彼女(友達) として続けるのであれば、 そういう事は、もうしないで」 と、 毅然とした態度で伝える。 あなたの時間とお金と エネルギーに、 ちゃんと価値を感じている 女性であれば この一発で解決します。 感じていないなら 「うわっ、 こいつメンドクセー」 って思われて終わります。 どっちにしたって 男っていうのは、 自分の価値に見合った女性と 付き合うべきだと思いますし、 (人間は自分の価値に見合った 異性と付き合うべき) そこを無理して 背伸びして ナメられて イライラしながら その女性に対して一生懸命に あなたの時間とお金と エネルギーを 費やし続けるというのは、 はっきりいって 人生の無駄づかいです。 そこで使っている あなたの時間とお金と エネルギーは、 あなた自身の価値を 高めるために、 あなた自身に対して 使ってください。 自分より価値の高い 女性を手に入れようと、 そこに投資しても無駄です。 自分より価値の高い 女性が欲しければ、 自分が同じくらいの 価値になるまで、 自分に 自己投資し続けること。 時間もお金もエネルギーも すべて限られています。 その使い方を 間違えないでください。 相沢蓮也
「ああ……それにしても 女が欲しいっ………!!」 出だしのセリフは 『カイジ』という漫画の1頁 「ああ……それにしても 金が欲しいっ………!!」 ってフレーズの 『金』を『女』に変えたものです。 映画化もされているので この漫画を知っている人や 読んだ事ある人は 多いと思うんですが、 ギャンブルという テーマを通して、 人間の業の深さをエグって エグってエグリまくるような お話です。 その漫画のなかで 印象的なシーンがあって ある超巨大企業の会長が 壇上(だんじょう)から、 おおぜいの 幹部社員たちの前でこう言います。 「ククク…… むろん…というか…… 言うまでもなく…… わしは 持っておるっ…! この パーティー会場の誰よりも…… 持っておるっ……! 金をっ……! 円で… ドルで……! ユーロで…… 元で…! 持っておるっ…! ククク…… どこにネズミ…… 税務署のネズミが ひそんでおるか知れんから 大きな声では言えんが それぞれ…… 100億はくだらぬ 預金を持っておるっ……! 最近では…… 北半球にばかり 金を集中させるのも どうかと思い…… オーストラリア・ドルも 手にした…… ほんの50億ほどだが…… 転ばぬ先のなんとやらだ……! 常にリスクの分散は 怠らないっ……!」 すると、会場がざわめき始め やがて拍手のあらし。 会長コールが始まります。 両手を上げてその空気に 酔うような顔の会長 … … ところが、次の瞬間、会長は バンッ!! と机をたたき、怒鳴ります。 「バカがっ……!」 静まり返る会場。 そしてワナワナと震えながら 「足らんわっ… まるで…!!」 シーンとする会場。 「わしは…… もっともっと… 欲しいんじゃっ……! 円を…! ドルを…! ユーロを……! まい進せよっ……! かき集めるんじゃっ…! 世界中の金をっ…! 人間の欲望はつまるところ 金につきるっ……! それを牛耳る金貸しこそ…… 王っ…! 築くんだっ……! 王国をっ……!」 と、まあこんな感じで 幹部社員たちに 激を飛ばすわけです。 そして、このシーンの冒頭に バーンと描かれた文字が、 「ああ……それにしても 金が欲しいっ………!!」 です。 金と女っていうのは 似たところがあって、 満たしても、満たしても、 渇きます。 海水を飲むようなものです。 飲んでも飲んでも、 いや、 飲めば飲むほど、 さらに喉がかわきます。 彼女が欲しい。 せふれが欲しい。 1度でいいから、 本当に好きになった女と…… 100人はやりたい。 1000人はやりたい。 手に入れるたびに、 大きな 喜びとともに、訪れる なんだ、こんなものか という感慨 そして次の欲望が湧く。 次々とわき続ける。 こういう 人間の欲望の深さとか、 業(ごう)の深さみたいなモノ を見つめていると、 (『恋愛相談』という形で 僕は毎日、 こういうメールを もらっていますので) その 「欲しいよ~。 欲しいよ~……っ!」 というメールの嵐に 気持ちが重たくなり たまに死にたくなります。 … ウソです。 死にたくなるは 言い過ぎました。 でも毎日、見知らぬ人の 深い欲望を受けとめ続ける ってのは 思いのほかシンドイもので はじめてこうして 弱音を書いてみました。 キャバ嬢の気持が 分かる気がします… もう書きません。 で、今日はぜんぜん違うお話 ちょっと恋愛を勉強しだすと 8割くらいの男性が ある勘違いをし始めます。 それが、 「女性に優しくすると 男の価値が下がる」 です。 こう勘違いしている男が 非常に多い! こう勘違いする男の 典型的なパターンというか 歴史(?)があって、 1、 好きな女性に、好かれたくて めっさ優しくした。 2、 にも関わらず、フラれた 3、 どこかの恋愛マニュアルで 「女に媚びるな!」 と書いてあった。 4、 なるほど 自分は女に媚びていた。 優しくすると 女はつけ上がるんだ。 もっと上から目線で 強気に攻めなくては いけなかったのか。 … … と、こんな感じで 女性に対する優しさや 気遣いを止めようとします。 で、結論から言うと、 ・女性に優しい男はモテます!! これは、絶対です。 でも、 ・女性に媚びる男は見下されます。 これもまた、事実です。 じゃあ 優しさや気遣いと、媚び の違いは何なのか? という疑問に行きつきます。 そこで あるコンサルでの会話。 生徒 「今まで自分は 女性に対して 優しくし過ぎていました。 それが 自分の価値を下げていて だから フラれたんだと思います。」 相沢 「なるほど。 ところで、あなたが言う 『優しくした』 というのは、 具体的に、どのような 行動を指して言ってますか?」 生徒 「う~ん。そうですね。 たとえば、エレベーターで ボタンを押してあげたり ドアを開けてあげたり…」 さて、これを聞いたあなたは どう思いましたか? エレベーターで ボタンを押してあげたり 女性のために ドアを開けてあげたりすると あなたの価値は落ちますか? 付け加えると、 女性のコートを ハンガーに掛けてあげたり 居酒屋でお皿をとってあげたり こういうちょっとした 気遣いをすると あなたの価値は落ちますか? よ~く、考えてください。 … … … … … … … … 「もちろんですっ! 男は女の 召使じゃないんです。 そんな事したら、甘く見られますよ 相沢さんっっ!!」 って思った人も、 「いや、女性は チヤホヤされたい生き物です。 そうやって お姫様扱いしてあげると喜ぶんです」 って思った人も、 僕は、両方とも 半分正解で、半分不正解 だと思います。 エレベータで ボタンを押してあげたり 女性のために ドアを開けてあげたり コートを ハンガーに掛けてあげたり 居酒屋でお皿をとってあげたり まったく同じ動作をしたとして 男としての価値が下がる人間と むしろ上がる人間、 2種類います。 ちょっと想像して欲しいんですよ。 たとえば 年商150億円くらいの企業の 70歳くらいの会長が、 あなたのために、 エレベーターのボタンを 押してくれたり ドアを開けてくれたとして じゃあ、その時 あなたの中で、 この年商150億円の企業の 会長の価値が下がりますか? 「ちっ! オレなんかのために ドアを開けやがって! つまんねージジイだぜっ!!」 って思いますか? って話なんです。 エレベータのボタンを 押してあげたり 女性のために ドアを開けてあげたりする その程度で落ちるほど 『男の価値』は低くありません。 じゃあ、 どんな場合に落ちるのか? 答えは、 普段は、そういった 気遣いをしない男が その女性に対してだけ、 ボタンを押したり、 ドアを開けたりした場合。 でしょう。 こういう 気遣いの動作ってのは 体に染みつくものです。 だからこそ やり慣れていないと それはギコチなさや 不自然さとなって体に表れます。 そのギコチなさや不自然さを 女性は敏感に感じ取り 無意識のレベルで、 「あ、こいつ私に媚びてる。 私が欲しいんだ」 と直感し、その場合のみ 男の価値は下がります。 普段から、 爺さん婆さんや子供、同性から ただの知り合いに対してまで、 ちゃんと同様の気遣いや 優しさが出来ていればいいんです。 それは日常の洗練された 動作となって表れ、 紳士的な振舞いとして 女性に伝わります。 だから、モテます。 でも逆に、 普段は誰に対しても雑なくせに 好きな女性に対してだけ それをやるから ・媚びている ことが『見抜かれます』 だって、媚びてますよね。 その女性に対してしか やっていないなら それは紛れもなく 『媚び』です。 別に優しいから あなたの価値が下がったのでは ありません。 本当に『媚び』ていたんです。 ただ、それを 見抜かれただけです。 あなたが、 老若男女誰に対しても 紳士的であるならば、 堂々としていればいいんです。 それが、あなたの スタンダードであるならば 誰にも文句を言われる 筋合いは無いし、 誰にも恥じることはありません。 好きな女性に対してだって 同じように 接すれば良いんですよ。 また、こういうのは 部分的なセリフや 動作の問題じゃないので、 LINEのやり取りなんかにも 表れてしまいます。 よくあるパターンなんですが 気になる女性と やり取りするとき、 「将来の夢に向けて 努力できてエライね」 「素晴らしい友人がいるんだね」 「思い立ったら行動できるんだから 凄いなって思うよ」 と、褒めます。 持ちあげます。 「LINEしてくれてありがとうね」 と、気を使います。 好きな女性に対して こういうLINEを 送ってしまう男は多いんですが 一度、 冷静にながめてみてください。 こういう感じの気遣いや 優しさの言葉、 たぶん、あなたの大切な 仲の良い 男友達には送りませんよね? この女性にだからこそ あなたはこれらの 言葉を投げかけた。 この女性に対してだけ。 それを 『媚びている』と言います。 本当の優しさとは何か? 誰にも媚びない。 それでいて 優しい男でありたいですね。 相沢蓮也
相沢です。 たとえば中学とか高校の時 『恋愛』っていう科目が ないのは 不思議といえば、不思議です。 国語・数学・理科・社会 保健体育に それから、恋愛。 たしか中学校くらいまでは 『道徳』っていう科目が あったような気がします。 『道徳』があって なんで『恋愛』はないんだろう。 『道徳』っていうのは 独りよがりの独善家を 育てるような要素が強いので コミュニケーション能力とか 本当に 相手の気持ちを読み解き 考え、自分の感情と戦う という意味で よっぽど『恋愛』の方が 心を育てると思うのですが…… そういえば ある『道徳』の先生は 『道徳』のスペシャリストとして その学校の権威なんですが 絶対に自分のミスを認めずに しょっちゅう 立場が弱い先生をどなり散らし いつも誰かのせいにして 目下の人間に対しては 一切謝ることが出来ず 自分のクラスの 親からのクレームを 栄養士のせいにして、 「おまえのせいで オレの 親からの信頼が傷ついた。 だから今 オレに謝罪しろ!」 って言って しぶしぶ謝る栄養士を さらに責め、 「お前は謝罪の仕方も 知らないのか!? 謝罪っていうのは 土下座だろう!!」 って言って 土下座させたそうです。 自分の罪を 他人になすりつけた上で 土下座までさせる。 自分の見栄とプライドを 守ることに必死。 この先生には他にも、 自分の勘違いである事に 気がつかないまま 授業中 他人のクラスに乗り込み クレーム (いきなり怒鳴りこむ) を付けたところ、 1、 そもそも、 クレームをつける相手を 間違っていた。 2、 クレームを付けられた先生は 「ポカン…」 3、 続いて、その先生には 一切謝らないまま 別の先生の教室に乗り込み どなり散らした。 4、 実は、自分の 勘違いである事が発覚。 5、 当然、授業中にいきなり 乗りこまれた先生は 怒りだすが、逆切れして わめき散らす って感じですが この『道徳』の スペシャリストは 校長から 厚い信頼を得ているんだとか。 こんな漫画みたいな 絵に描いたようなクズが 本当に、教師として、 しかも 『道徳』のスペシャリスト としてのさばっているんだから 学校とは恐ろしい社会です。 いや、本当に 実話なんですって。 僕もドン引きしました。 恋愛を教えるというのは かなり特殊な感じがするし、 『恋愛』という科目が 無いのが不思議 とか言いながらも、 本当のところは 「やっぱり、そりゃあ 学校で 教えることじゃねぇよな…」 とも本当は思うんですが 一方で 他人を見つめ 自分の内面と葛藤し あらゆる感情と戦い 克服してゆくその過程は これほど 人間を育てるステージも 珍しい。 とりあえず ゴールを設定しないと どこに向かっていいのか 分からないんで、 ・好きな女性を落とす とか ・たくさんセっ○スする とか 便宜上、 そういう目標を設けますが 僕が恋愛に対して 真剣に取り組むことの 真の意味を感じるのは、 やっぱりその過程です。 その過程でみなさん とことん 自分の弱さを思い知ります。 どれほど自分が未熟なのかを 嫌ってほど突き付けられます 自分の凡庸さにウンザリします。 何度悔しい思いをしても その上でまだ 悔しい思いを 重ねなきゃならない。 ほとんど苦行としか 思えない時間がいかに長いか。 でも、そうやって とことん自分を見つめ とことん、 目の前の女性という 『他人』 を必死になって 理解しようとして その『他人』に対して 必死になって 交渉しようとして 必死になって 表現し 自分を伝えようとし続けて 何度も何度も失敗しながら やっとの思いで 到達する 「たったの一歩」 そのわずかな一歩が どれほど嬉しいか。 どれほど 自分を成長させてくれるのか。 クソみたいな プライドなんて、 まったく通用しない 世界じゃないですか。 権威も見栄も、プライドも 虚像は一切、通用しない世界。 だって どんな理屈をこねたって どんな正義を 振りかざしたって どんな「いい話」を してみたって、 女性から 「めんどくさ…」 って思われたら それで終わり。 その結果が全て。 これほど分かりやすく ストレートに 自分をごまかせない 世界なんです。 ガキ相手に えらそうに説教して 気にいらなければ 自分より立場の弱い人間に 土下座させて チープなプライドを 満足させている。 そんなノンキな商売とは 次元が違います。 『恋愛』を教える なんていうのは、 おこがましいといえば おこがましい。 自分だって 未熟を痛感する毎日です。 「どうしたら最短で 女の子とえっちできるか」 を真剣に議論しているなんて 正直、親には言えません。 自分は、 風俗嬢やAV嬢に近い 存在だと思っています。 仕事は面白いし 社会的な意味も 感じているけれども、 親には言えない商売。 残念ながら 一生続けられるとは 思いませんが、 いま、この瞬間は あなたと僕自身の 成長のために、 真剣に取り組んでいます。 相沢蓮也
相沢です。 今日のお話は 欲しい女を手に入れるための 究極の答えです。 ガチです。 真剣に受け止めてください。 泉谷閑示さんというカウンセラー の文章が好きです。 彼の著書『「普通がいい」という病』 の中に、「五本のバナナ」 というお話があります。 ----------------- 「五本のバナナ」 バナナが大好きな旅行者が、 ある貧しく暑い国を旅しています。 その国には、 道端に物乞いがたくさんいます。 旅行者は、 物乞いに施しをしようと考えます。 彼はちょうど大好物のバナナを 五本持っていました。 普段の彼は、 三本食べると満腹になり、 満足します。 でも彼は 自分で食べるのは二本で 我慢することにし、 残りの三本を気の毒な 物乞いにあげました。 しかしこの物乞いは バナナが大嫌いで、 一言のお礼も言わず、 彼の目の前で、 地べたにバナナを 捨てたのでした。 ・・・ さて、 バナナをあげた旅行者は いったい、どんな気持ちに なったでしょうか。 自分は我慢して施したのに 感謝もなく 恩知らずな物乞いに腹が立ち 怒り心頭でしょう。 しかし、もし自分が 三本のバナナを食べて、 残りの二本は、 どうせ腐ってしまうのだからと 物乞いに差し出していたら どうでしょうか。 そもそも自分でも 食べきれずに捨てた はずなのですから、 それほど腹も立たないでしょう。 この一本の違いが、 「愛」と「欲望」 の違いを生むのです。 我慢してあげた一本は、 感謝と言う見返りを 期待してしまっている、 「偽善のバナナ」になるのです。 我慢した一本に 何が込められているかといえば それは同情心です。 そして、その奥に 「感謝して欲しい」 「善い人と思われたい」 「善いことをしたという 自己満足が欲しい」 などが潜んでいる。 それは善い行いのように見えて やはり「欲望」です。 一方 「たまたま余ったので、 捨てる代わりに ご自由にお役立てください」 という場合には、 仏教でいうところの 「喜捨」 喜んで捨てるという 行為になります。 表面だけ善人のように 整えても駄目で、 等身大でなければ 不純なものに変わる。 ですから 「愛」のために 私たちができる第一歩は 逆説的ですが、 まず自分を きちんと満たしてやること なのです。 面白いことに、 人間は自分を満たしても、 必ずいくらかは 余るようにできている。 この余ったものを使ったときには 「愛」の行為になるのです。 ---------------- 愛と欲望に関する明察。 男っていう生き物は どうしても 手に入れたい女性を 目の前にすると 我慢して 一本余計に与えようとします。 「偽善のバナナ」って奴を。 そこには必ず、 感謝して欲しい、 見返りが欲しい、 という意図が見え隠れします。 女性は男の100倍くらい 直感が優れているので、 「なんとなく」 という言葉で これを察知します。 だから、 与えても与えても 振り向いてもらえない。 男は男で、 「我慢して」与えたものだから 与えれば与えるほど、 ・元を取らなければ!! という気持ちが 積み重なり、焦る。 1人の女性に執着する。 その焦りと執着を 女性は鋭く感じとり ますます距離を置こうとする。 悪循環。 やっぱり 5本のバナナのうち、 無理なく与えられるのが 2本であれば、 3本も与えちゃ いけないんですよ。 不自然な気持ち悪さ 見返りを求めた重たさ として、『必ず』伝わります。 ここで1つ、 大きな問題が起こります。 女性のレベルが、高かった場合。 つまり、 あなたのバナナよりも 大きくて立派で、 美味しいバナナを沢山の男から 5本も6本も、 もらうことが当たり前の 日常を送っていた場合。 (もちろん、 バナナはお金や物質のみを 指し示すものではありません。 トークや安心等、 人生観等あらゆる価値です) 貧弱なバナナを 2本与えたところで、 それじゃあ 振り向かせようが無いんです。 かといって、無理して3本 4本与えてみたところで 必ずそこには、 不自然な気持ち悪さや 下心が発生する。 必ず!!! そして、必ず女性はそれを見抜く。 必ずです!!! 結局、価値の高い レベルの高い女性を 落としたければ、 自分がもっと立派で美味しくて 大きなバナナを 何本も持つしか ないんじゃないでしょうか。 立派で大きくて美味しいバナナを 10本も持っていれば、 そのうち3本を自分が食べても 7本も、別の女性に プレゼントできますよね。 無理なく、 下心なく、気持ち良く。 いい女を抱きたければ、 自分の価値=バナナの質と本数 をあげていくしかない。 あなたが5本のうち 3本食べて満足するとして 2本与えただけじゃ その女性を落とせないなら あなたがやるべきことは 無理して3本、4本と 与える事じゃありません。 今の自分が 欲しいと思う女性の価値に 見合っていないという事実を 真摯に受け止め、 自分を磨いてください。 今の自分から変わろうとしなきゃ、 価値の高いモノを得るには それに見合った価値を 身に付ける以外にありません。
相沢です。 以前、 「男の価値やステータス」 についてお話して 反響が大きかったので その続きです。 ・好意がバレると 男としての価値が下がる ・好きだとバレたら ステータスが下がる この考え方のズレや誤解について 詳しくお話したわけですが、 好きだとバレるバレない云々とか は置いといて、 じゃあ、実際はどういう時に 男の価値やステータスが 下がってしまうのか? その答えは、 一言で言い尽くせないほど たくさんあるので 困ってしまうのですが、 ・好意がバレると こちらの価値が下がる と勘違いしている人に 当てはまりそうなのは、 ・相手によって 自分のルールを曲げてしまう じゃないかな、って思います。 「他の人なら許さないけど 可愛いから許しちゃう」 「好みだから、美人だから ルールを曲げて譲っちゃう」 とか。そういう感じです。 こういうのが、 『媚びた態度』 『おもねった雰囲気』 となって伝わり、 男の価値・ステータスを下げます。 例えば、 僕は無断の遅刻を 許さないことにしています。 事前に連絡さえくれれば 1時間だろうが 2時間だろうが、 遅刻してもらっても まったく気にならないんですが、 無断だと、許しません。 女性との待ち合わせで その女性が5分 連絡なしで遅刻したら 迷わず帰ります。 たとえ相手が、 どんなに美人だろうが どんなに、その日 やれそうな気配がしていようが、 です。 実際、 あるパーティーで出会った そのパーティーでは 一番人気だった すっげぇ綺麗な女性と デートの待ち合わせをしたとき、 その子が無断で 5分たっても来なかったので さっさと帰りました。 その更に10分後くらいだったか 何事もなかったかのように その子から 「着いたよ~」 ってLINEが届いたんですが 「もう来ないと思って、 帰りの電車に乗っちゃった」 って返信したら、 なんか怒ったり、 謝ったりと、 忙しく連絡してきたんですが その内容に 納得できなかったので その子とはそれで 終わらせました。 話は変わりますが、 ある人が、 「自宅に女性を招き入れても その先ではぐらかされてしまう。 ヤレそうでヤレない。 そうやっているうちに 女性にナメられます」 って言ってて、 それを聞いた僕の友人は 「自分なら、 部屋に来ておきながら いざせ●クスってなった時 ゴネる女がいたら 家から追い出す」 と言ってました。 彼なら本当に追い出すでしょう。 相手が美人だろうがなんだろうが。 こういうルールが、 男の価値を決めます。 ルールって点で言うと 他にも、たとえば僕は、 食事代を全て男が出した時 「ありがとう」 の一言がいえない女性は、 その場で切ります。 あと、昔、尊敬していた ホストから聞いたんですが 一流のホストは絶対に 枕営業をしないそうです。 好みの外見だから こっそり抱いちゃうとか 絶対にしない。 客とは寝ないと決めたら 相手が誰であれ、 そのルールは曲げない。 だから、周りが思うほど 女性の経験人数は多くはなく 20代前半で3人とか4人とか それでナンバー1とか けっこうあるそうです。 その代わり めちゃくちゃモテるし メチャクチャ稼ぐ。 信者のような女性が バンバン金を落とす。 かたや、二流三流のホストほど ちょっと可愛いとすぐやっちゃって そんな甘い気持ちと 時間の使い方だから いつまでたっても 稼げないんだとか。 この話を聞いているから 僕は 「何百人切り」 とかいってるような 元ホストの類を信用していません。 ああ、二流の人ね、と。 … こんな感じの話をしていた時 その場にいた もう1人の友人が、 「自分は、自分を 拘束しようとしてきたら その女は切ります」 と言いました。 まあ、これも ルールっちゃルールなんですが 男を 拘束しようとしてくるって時点で すでに、その女性は落ちてるので、 今回いう、男の価値とか ステータスとは 関係ないルールだと思います。 … … 念のため言っておきますが 「女が5分遅刻したら、 さっさと帰れ」 とか 「直前でグダりだしたら 家を追い出せ」 とか、 そういう話じゃないですよ。 ルールってのは、 何でもいいんです。 自分の価値観から発生していれば。 でも、それを相手によって コロコロ変えたりしない。 ・女性の美人度とか、ヤレそうとか そういうのに左右されて フラフラしない。 状況に応じて対応を変える という柔軟性は大切ですが、 女性から性的魅力を 目の前にぶら下げられて、 それで「わんわん」言って 媚びてしまうようじゃあ、 あなたの価値は、その程度ですよ、 ってお話です。 相沢蓮也
相沢です。 僕のメルマガでは たまにクイズを 出題していて たしかあれは、 「どうやって女性を 動かせばよいか?」 「相手の考えを崩すには?」 といった質問を してくる男の考え方に共通する 間違った思考とは何か? とか、そんな感じのものです。 こういうクイズは 好評が良くて かなり沢山の人から 「答え」のメールを もらうんですが。 その中でひとり、 とても印象深い人がいました。 彼もそのクイズに 答えてくれた一人なんですが 何が印象的って、彼、 メチャクチャ厳しいんです。 具体例に挙げた 「どうやって女性を 動かせばよいか?」 「相手の考えを崩すには?」 という台詞を言った 男に対して 何か恨みでも あるんじゃないのか? ってくらいに。 努力をしてない そのクセ 一瞬で効果を求める 段階を踏まないのに いきなり最上階を求める 自分の弱点を分かっていながら 準備をしない 戦略ばかり考え過ぎている 相手のことを考えていない さらに 自分で行動できない 他人のアドバイスを 受け入れられない 人のせいにする いいわけをする 僕が出題した具体例だけでは いくらなんでも ここまでは言えないだろう… と。 が、一方で、 彼がこういった厳しい言葉を 羅列する様を見ていて、 「たぶんこれって 彼が、彼自身に向けて 放っている 言葉なんじゃないかな?」 って感じました。 そこで試しに 「自分で自分を 責めているのでは?」 というような返事をすると 「クイズが 自分のことのように思えて ついつい厳しく なってしまいました」 と、返ってきました。 で、彼自身のことを 色々と教えてくれたんです。 自分がいかに モテなかったか。 どうやってそこから 這い上がったか。 日々焦っていて 自分に負けたくなくて、 他人に負けたくなくて。 歩みを止めたら あの頃に戻ってしまいそうで。 怠けてしまう 自分が許せなくて そういう自分に ガッカリしてしまって。 なんだか、 彼の話を聞いているうちに 「オレだってそうだよ。 まったく同じじゃん。」 とか思っちゃって。 結局 「もっと自分に 優しくしてください」 なんて、いかにもな アドバイスをしちまいつつも 「ああ。そりゃあ、 僕自身のことだ。 その言葉を、過去の自分に 向けて言ってるんだ」 僕が、 過去の自分に向けて 「もっと自分に 優しくしてください」 って。 … … … モテるための メルマガを書いていながら あえて、 あなたに聞きたいです。 モテないって そんなに悪いことですか? 彼女イナイ歴って その人間の価値を決めますか? 女と上手くしゃべれないって だから何ですか? そうじゃないと思うんですよ。 男の価値ってさ。 そうじゃないですよね。 僕はもっと気楽な気持ちで エンターテイメントとして 女性と楽しんで欲しいな って思います。 あなたの価値は 既に100%なんです。 100%を 120%とか 130%にするために 女性と遊ぶんです。 女性を口説くんです。 決して、 60%や70%といった 欠落した人生を 穴埋めするようなスタンスで 女性を口説いて 欲しくはありません。 この差、超重要です。 本当に重要なんです。 本当にイイ男ってのは 自分が100%であることを 心の底から信じています。 だから、モテる。 … … … あなたの人生は いま、何パーセントですか? 相沢蓮也