相沢です。
ときどき、
「そんなことしたら、
女性からナメられませんか?」
という質問をもらいます。
これを聞くと、いつも、
「ナメられたくない」
なんて思ってるから、
ナメられるんだよ(笑)
と、反射的に思ってしまうのですが、
そうですね、
だいたい、
「他人からナメられたくない」
って思ってるやつって、
他人から、ナメられますよね。
…
って書いていて、
「あれ、そもそもナメられるって
何だろう?」
「オレはむしろ、女の子から
体中をペロペロと、
ナメられたいぞ…」
なんて、ついつい、
ゲスな下ネタに、
思考を持っていかれそうに
なりつつも、
さて。
ナメられるっていうのは、たぶん、
人間として、
・下に見られる
とか、
・軽んじられる
ってことだと思いますが。
じゃあ、僕自身は、
今までの人生で、
他人から下に見られたり、
軽んじられたりしたことは
1度も無いのか?
って聞かれると、
「いやいや、むしろありすぎて、
そんなもの、数えてませんよ」
だし、
そのうえで、言わせてもらうのですが、
「だから、何?」
って思います。
そもそも人間とは、
第一印象の見た目とか、
あとは、
社会的な、立ち位置、
ポジション、関係性、
みたいなやつで、
勝手に、一方的に、
他人を見下したり、軽んじたり
するものです。
それが、スタンダートです。
それが、当たり前です。
そこが、基本なんですよ。
ですので、そんなことにいちいち
プライドを傷つけられて、
ナイーブに、イライラしたり、
「なめんなよ、このやろー!」
とかって、
田舎のヤンキーみたいに、
ばか丸出しで、
「シャーっっ!」
って爬虫類(はちゅうるい)
のごとく
ちょっとしたことで、
ビクビクと他人を威嚇(いかく)
したりするから、
イタイわけですね。
そうそう。
「なめられたくない」
っていう発想が、もう、
田舎のヤンキーですよね、
これは。ほんとに。
ですから、
「なめんなよ、このやろー!」
とか思っちゃってる時点で、
本質的には、
そして、
コミュニケーションの実力的には、
彼らと、大差が無いわけです。
…
さて。
ところで、
今日のお話は、
実はけっこう、
根が広くてですね、
この、
「ナメられたくない」
も含めて、
コンプレックスっていうのは、
「その思考」そのものが、
コミュニケーションの
足をひっぱります。
例えば、恋愛なんかで
よくあるのが、
「背が低いことがコンプレックスです」
とか。
これも、もちろん、
どうしても、男性は背が高くないと
恋愛対象として見られない、
という女性も、ごくごく一部、
いなくはないのですが、
ほとんどの場合は、
「あなたの背が低い」
から
男として無しなのではなくて、
「背が低いことを気にしすぎている
あなたのメンタリティがしょぼい」
から
男として無しなのです。
それから、
年齢とかでも、こういう
コンプレックスって
よくありますよね。
「若い女性とどうやって話を合わせて
口説けば良いか、分からない」
みたいなのとか。
こういうことを言う男性が、
じゃあ、
同年代の女性が相手ならば、
百戦錬磨(ひゃくせんれんま)
話をどっかんどっかん、
盛り上げられる、
なんて話は、聞いたことが無い。
だいたい、
「若い子が口説けません」
っていう男性は、
一方的に、年齢差を気にしすぎて、
・年齢のせいで口説けない
というフィクションに逃げ込んで
いるだけの話で、
じゃあ、その「若い女性」と、
もし仮に、同じ年に生まれて、
同じ年齢で出会ったとしても、
だいたいこういう人は、
別の言い訳を探すのでしょう。
「自分は背が低い」
とか
「自分はイケメンではない」
とか。
おおむね、
若い子と楽しく話せる男性
っていうのは、
老若男女問わず、
誰とでも楽しく話せるものですし、
「若い女性とどうやって話を合わせて
口説けば良いか、分からない」
という男性は、
若い子に限らず、
年齢に関係なく、
一部の人としか
話せなかったりするものです。
…
年齢といえば、
僕の女友達が、
ナンパされたときのことを
話してくれたのですが、
あるオジサンが、
声をかけてきて、
「君って何歳?」
「25」
「えー若いねー」
「何歳なんですか?」
「30歳くらいだよ」
「いや、どう見ても40歳こえて
ますよね(笑)」
って言ったら、そのまま
その男性は、逃げていったそうです。
そこで、僕は、彼女に、
「オジサンから声をかけられて、嫌だった?」
って聞いたら
「全然。むしろ、あっちから声かけて
きたくせに、途中で急に立ち去るって、
それが失礼だよね」
って言ってました。
これ、分かります?
たぶん、このナンパした男性は、
自分の年齢に、
コンプレックスを
持っていたんですよ。
そして、おそらく、実際に
40歳を超えていたんだと思うし、
そのうえで、
つまり、
40歳をこえて、
ナンパしている自分について、
受け入れられていなかった
んじゃないかな?
と。
「こんな年齢になって、
路上で若い子に声かけて、
恥ずかしいやつって
思われないかな?」
とか。
まあ、これも一種の、
年齢コンプレックスですね。
なので、その部分、
年齢の部分を、彼女から
ストレートに指摘されて、
いたたまれなくなり、
その場から、逃げ出したんだと
思います。
それか、
本当に30歳くらいなんだけれども、
見た目が40歳くらいに見える男性で、
そのことが、強いコンプレックスだったか。
どのみち、
指摘され、逃げてます。
ちなみに、この女友達ですが、
僕は付き合いが長くて、
よく知っているのですが、
彼女は、男性の年齢には
まったく興味がありません。
おじさんだから嫌とか、
見た目がふけているから嫌とか、
そういうのが全くないタイプです。
なので、これ、
男性が勝手に、負けて、
逃げ出したパターン。
ここ、重要です。
これなんか、
例えば、
「いや、どう見ても40歳こえて
ますよね(笑)」
なら、
「いやいやいや。
初対面で失礼じゃね?笑
おれ、赤ちゃんのときから
この顔だから!」
とか。
「あれ?
もしかして、占い師さんですか?
よく本当の年齢分かりましたね(笑)」
とか。
テキトウに返せば良いわけですよ。
で、こういう話をするとだいたい、
「そんなふうに上手くセリフが
出てきません」
「自分は、頭の回転が遅いです」
とかって、すぐに、
セリフとか、頭の回転のせいに
されちゃうのですけれども、
僕はこれ、セリフの問題とか、
頭の回転の問題とかではなくて、
コンプレックスの問題だと思ってます。
自分のコンプレックスを指摘されて、
それだけで、
恥ずかしさとか、
自分の負の気持ちが
胸いっぱいに広がっちゃって、
そこで、思考が停止しているんですね。
で、勝手に負けて、勝手に逃げ出す。
「ナメられたくない」
も
「背が低いからモテない」
も、
「自分はもう、歳だから」
も、
本質的に、すべて同じです。
そうやって、
自分のことだけで、
自分のコンプレックスのことだけで、
自分の負い目や劣等感のことだけで、
胸がいっぱいだから、
心がいっぱいだから、
頭がいっぱいだから、
女性とのコミュニケーションのなかで、
適切な言葉が出てこないのです。
…
コンプレックスの話をしていて、
ひとつ、
興味深いエピソードを思い出しました。
友達のキャバ譲が言っていたのですが、
キャバクラの客というのは、
学生時代の復讐(ふくしゅう)をはたしに
来るのだそうです。
学生時代、
クラスの中で、派手でイケてる
女の子を、
黙って、指をくわえてみていた
地味な男たち。
彼らが、社会人になって、
それなりのお金や、社会的な地位を
獲得して、
キャバクラで、
当時、あこがれていた、
派手で、イケている女の子を、
今度こそ、口説き落そうと、
必死に通う。
「あのころオレは、地味で目立たず、
ただ見ていることしか出来なかった。
でも、今は違う!
こうしてお金を払えば、話も出来るし
アフターだって誘える。
あと一歩。あと一歩で、あのころ
手に入れられなかったものが、
手に入るんだっ!」
っていう。
そういうお客さんが一番、
扱いやすいカモなのだそうですが、
これだって結局は、
そういう、
「あの頃の、イケていない自分」
っていうコンプレックスが、
大きく足を引っ張ってるわけです。
そして、おおむね、
本当にキャバ譲を口説き落している
男性というのは、
「あの頃…」
なんていうコンプレックスでは
口説いていません。
もっとフラットです。
…
人には様々なコンプレックスがあります。
僕だって若いころは、
普通に、ひとなみに、
コンプレックスのかたまりでした。
そもそも、
思春期とは、そういう時代ですし、
若さとは、
コンプレックスの強さや大きさと
ほとんどイコールなのでしょう。
人は、年齢とともに、
「自分は特別な存在ではない」
ということを思い知ります。
「自分は、物語の主人公ではない…」
それが、大人になるということです。
そのことを、頭ではなく、
心で、理解するんです。
でもきっと、
「自分が特別ではない」
って、心で理解することと、
コンプレックスから解放される
こととは、イコールなんです。
本当の自由が欲しければ、
「特別でない自分」というものを
受け止めてください。
もっと誠実に、
もっと、肯定的に。
きっと、できます。
相沢蓮也