本音でぶつかることは正しいのか?

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相沢蓮也

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相沢です。

「本気で好きな人とは、
いつも本音で話したい」

「大切に思っているからこそ、
ウソはつきたくない」

とても正しいように
聞こえます。

美しいです。

誠実に思えます。

が、本当にそうでしょうか?

っていう、

いつもの、

ひねくれた、

僕の見かたを書いてみます。

さて。

最近、実際にあった
相談者さんの事例でいうと、

例えば、

女性と話をしていて、

その女性が、

「私、犬が大好きなの」

って言ったのだが、

その男性は、どうしても
犬が可愛いとは思えない、

とのこと。

「この場合、
自分は、自分にウソをついてでも
共感すべきなのでしょうか?

それとも、

思ってもいないことを言って
薄っぺらくなるくらいならば、

本音で、

いや、オレ、犬の可愛さとか
ぜんぜん分からんわ。

って答えるべきでしょうか?

自分は、本気で好きな女性には
正々堂々と、本音でぶつかるべき
だと思っています」

とのことです。

ちなみに、僕個人の
話をしますと、

例えば最近ですと、

僕、ヤクルトって、
どちらかというと
嫌いなんですけども、

「ヤクルトレディを
やったことがあって、
ヤクルトが好き」

っていう女性を
口説いていた僕は、

まったく、何のストレスも
ひっかかりもなく、

当然のように、

「ヤクルトっておいしいし、
健康にもいいし、すごいよね」

っていう言葉が、

反射的に、

考えるよりも先に、

自分の口から出ていまして、

ここまでくると、

これはこれで、

少し頭がおかしいような
気もするのですが、

しかし、

そういう感性の持ち主
である、僕からすると、

「……いぬ……だよね……??」

というのが、

正直な感想なのですが、

これだけだと、

分からないかたも
多いと思いますので、

もう少し真面目に、
解説します。

まず、

この手の疑問にぶつかる
男性の多くは、

・人生の優先順位があいまい

なんじゃないかな、

って思います。

僕は、

「……いぬ……だよね……??」

と書きましたが、

そもそも、

この男性にとって、

・犬が可愛く思えない。

という事実は、

そんなに重要なことなのだろうか?

それは、

血反吐(ちへど)をはいてでも、

泥水(どろみず)をすすってでも、

恥辱(ちじょく)にまみれてでも、

何が何でも、

曲げられない、

最後の最後まで、

相手に、ナイフをつきたてられて、

命を落とすその瞬間まで、

そして命を落としたそのあとまでも、

絶対に、譲(ゆず)れない、

「それでもオレは、
犬をかわいいとは
思えないんだっっ!!」

っていう、

そのくらいの覚悟を持った、

人生の重要事項なのでしょうか?

で、もしそうであれば、

そのくらいの重要事項であれば、

僕は、

そこは、譲(ゆず)っては
いけないと思います。

結果をつかめる人間というのは、

100のうち、

たった1つを死守しますが、

残りの99は、

すべて切り捨てられる。

譲(ゆず)ってしまえる。

そういう人間だと
思っていますので。

ですのでこれ、

犬を可愛いと思えるか?

を事例としてあげましたが、

こんなの、

なんだって一緒です。

僕のヤクルトの話だってそう。

あるいは、

フクロウを見て、
愛らしいと感じるのか、
気持ち悪いと感じるのか、

とか、

スイーツを食べて、
幸せと感じるのか、
甘くて気持ち悪いと感じるのか、

とか、

音楽、映画、物語、
スポーツに、絵画、芸術、
お笑い、

なんでも同じです。

それらの、

ちょっとした1つ1つについて、

目の前の女性とは、

感性が合わなかったときに、

それって、

あなたにとって、

そんなに譲れないもの
なんですかね?

もっと分かりやすく言うと、

それって、

目の前のその女性を
口説き落とすことよりも

あなたにとって、
重要なことなんですか?

ってのが、まず1点。

どちらが重要なのか?

何が目的なのか?

何が欲しいのか?

優先順位の問題。

次。

だいたい、こういうことを
言う男性は、

オールオアナッシング

ゼロか100か。

「肯定する」か「否定する」か。

なぜか2択しかありません。

「全部正直に話す」
「全部正直に話さない」

とかですね。

でも本来、

コミュニケーションには、

グレーで曖昧な部分

というものが求められます。

例えば、宗教の問題とかが、
分かりやすいと思うのですが、

目の前の人が、何か特定の信仰を
持っていたとして、

むやみに、否定しませんよね。

「私は、キリスト教徒です」
「キリスト教の教えでは●●です」

って言った人に対して、

「自分はそれ、無理だわ」

とは、思っても、
言わないわけですよ。

宗教というのは、
その人個人の、

感性の根源にかかわる
部分ですので。

じゃあ、どうするのかっていうと、

「そういう考えかたも、あると思う」

という形で、肯定も否定もしません。

そもそも、議論を求められているか
どうかが分からないからです。

そのうえで、さらに、

「その部分について、君はどう思うの?」

って突っ込んで質問されたら、

これは、意見を求められていますので、

「自分は、どう考える」

という部分を、あくまでも、

自分個人の考えとして、述べます。

相手の大切な部分を
否定しないよう

細心の注意を払いながら。

こうして、

相手を不必要に、否定せず、

やんわりと、相手との思想の違いを
伝えながら、

自分の考えも、ちゃんと述べます。

個人の、感性の深い部分であれば
あるほど、そういう気遣いをします。

そしてこれは、

例として宗教をあげましたが、

犬や猫、ふくろう、音楽や映画の
趣味だって、本質的には同じです。

なぜかというと、

その人が、例えば、

「わたし、犬が好きなの」

って言った時に、

その個人が、どのような背景、
どのような歴史を持って、
犬を好きなのか、

すぐには分からないからです。

例えば、かなり極端な
フィクションですが、

その人が、子供のころ、

両親は共働きで、家ではいつも
ひとりきりで、

友達からもいじめられていて、

そんな中、いつも一緒にいてくれた、
ペットの犬だけが、心のささえで、

そのペットの犬がいたから、

幼少期の孤独を乗り越えられた。

そんな幼少期を送ってきたとします。

その人が、

「わたし、犬が好きなの」

って言ったとして、

その場で、
よくわからないうちに、
なんの悪気も無く、

「なんでも本音で語り合うのが正しい」

という感性のもと、

素直に、ストレートに、

ただ、反射的に、

「おれ、犬って嫌いなんだよね。
吠えるし。くさいし」

っていう言葉を投げかけることは、
「正しい」ことですか?

あるいは、

震災で子供が行方不明に
なって必死に探していたとき、

がれきの下から、子供を発見して
くれたのが、ペットの犬だった。

そういう背景を持っている人が、

「犬が好き」

と言った発言に対して、

「なんでも本音で語り合うのが正しい」

という感性のもと、

素直に、ストレートに、

ただ、反射的に、

「おれ、犬って嫌いなんだよね。
吠えるし。くさいし」

っていう言葉を投げかけることは、
「正しい」ことですか?

もちろん上記は、

分かりやすさ重視で、

かなり極端にしましたが、

つまり、

その人が言う、

「好き」とか「嫌い」の

・「重み」の問題

です。

そしてそれは、

関係性が浅いうちほど、
分からないものなんです。

どの程度の「重み」でもって、

どんな背景があって、

そういう、犬でも猫でも、
音楽でも、漫画でも、映画でも、

「好き」とか「嫌い」と
感じているのか、

それが、分からない。

だから、わざわざ、
否定しないのが、
マナーなんですよ。

どうしても、
共感できないなら、

そして、どうしても、
共感する努力も
できないならば、

無理して、嘘を
つかなくても良いですが、

わざわざ否定する
必要性がありません。

だから、共感できないならば、

肯定も否定もしない。

もしくは、無難に、合わせておく。

なぜなら、

「悪気が無ければ、何を言っても良い」

「知らなかったで済む」

とは、僕は思わないから、

です。

「先に言ってよ。
そしたらオレ、そんな無神経なこと
言わない人間だよ」

は、通用しません。

なぜならば、言われた方からすると、

「なんであなたに、そんなこと
言わなきゃならないの?
自分の大切な部分なんだよ」

だからです。

そのステージに入って
しまった時点で、

恋愛としては、おおむね、
手遅れなんです。

最後に3点目。

こっちのほうが、

恋愛相談を受ける立場から
すると重要なのですが、

「本気で好きな人とは、
いつも本音で話したい」

「大切に思っているからこそ、
ウソはつきたくない」

これは、非常に「正しい」です。

そして、こういう「正しさ」を
主張する人ほど、

おおむね、

友人としては尊敬されるが、
男としては「無し」判定を
くらうことが多いです。

あと、

彼女から、突然フラれたりします。

だいたい、こういう「正しい」人に
よくそれあります。

相手が「正しい」ときほど、
反論が難しく、

よって、心では、
納得できなくても、

その「正しさ」に
うなづくしかない
場合が多いからです。

なので、多くの場合、
特に女性とかは、

「ほんとに、その通りだよね」
「すごいよね、よく考えてるよね」
「立派だよね」

って言って、

「尊敬できる友人
(男としては無し)」

というポジションを
その男性に与えることで、

その男性を、
恋愛対象から外します。

そうやって、

「あくまでも友人だから」

という距離感を、
確立することで、

上手に、突き放します。

表面上、波風をたたせず、
良好な関係を維持し続けます。

あるいは、

途中までは、その「正しさ」に
対して、

ある種の、カリスマ性とか、
頼りがいとかを感じて、

付き合う女性もいますが、

その「正しさ」が行き過ぎたり、

どこかで、その「正しさ」に
ついていけない時が来ると、

何かしら、別の理由を引っ張り
出してきて、男性を、ふります。

急に手のひらを返したように。

ところが、男性は、

なぜ、自分がふられたのか
分かりません。

なぜならば、

自分はずっと「正しい」ことを
言い続けてきたし、

なんでも本心で話しあうべき
だと考えているし、

パートナーにも、それを
求めてきた。

そして、パートナーも、
それに同意してくれたはずなので、

なぜ、こうなってしまうのか?

なぜ、話しあえないのか?

それが、分かりません。

「正しい」から

彼女は、その「正しさ」に
反論できないから。

最後にひとつ、

これはある意味、

非常に男性的なやつ。

それも、

仕事が出来る男性とかに
一番ありがちなやつを
とりあげます。

「マッチングアプリで
やりとりをしていて、

見た目が可愛いのに
5年間彼氏がいないという
26歳の女性だったんですけど、

深い話になっていくほど
まあまあ
面倒くさい性格が
見え隠れするようになってたんですよ。

頭がいいから
色々考え過ぎちゃうんですねー、

とか適当に持ち上げつつ
話聞いてたんですけど、

だんだん、
行動していないけど冷静に
状況見れてる私頭良い、
感が鼻につくようになってきて、

僕の方がイライラしてきちゃって。

言ってはいけないと
分かってはいたんですけど、

まあ相沢さんが言ってたこと
検証してみるかという
言い訳とともに、

ちょっとアドバイスじみた
発言したんですね。

そしたら、
『分かりました!そういうふうに考えます!』
って、今まで結構長文で語ってたのが
パタっとなくなって、

あ、見事に扉を閉じたな、
って感じになってしまいました。

いやー、自分とは違う
価値観の人の話を前向きに
聞くって難しいですよね。」

ちゃんと行動して、
それなりに結果を出したことの
ある男性なら、

「あー。これ、オレも
やっちまったことあるわ~」

って共感、あると思いますが、

そうですね。

恋愛について、

理論ばかりを学んでいる人には
分からなくて、

逆に、ちゃんと行動した人、
実際に、何人もの女性を
口説いてみた人にしか
分からないこと。

実践をしてみて
ほとんどの男性が、

恋愛で一番、苦しむポイントって、

実はこの、

・価値観の違い

です。

そしておおむね、

あなたが魅力的だと
感じる、

美しい、可愛い、
スタイルの良い、
性格がすばらしい、
話が合う、

女性と、

あなたとは、

けっこう価値観が違うものです。

あるいは、今はぴったりの
ように感じていても

必ず、どこかで、すれ違います。

その時が、やっと、

本当の恋愛の
始まりなのですよ。

相沢蓮也

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