相沢です。
突然ですが、
「鈴木先生」
という
ドラマを知っていますか?
中学校を舞台にした
いわゆる学園モノの
ドラマなんですが
中学生相手に
おおまじめに、
「セッ●スは、
ゴムを付けるべきか?
ナマでやるべきか?」
でクラス会議を
開いちゃうような、
すごいお話です。
相手が子供であろうと
鈴木先生、逃げません。
ごまかしません。
さて、そこでの議論です。
うろ覚えなんで、
まあ、細かい部分の
記憶違いは許してください。
鈴木先生は
ナマ派なんだそうです。
そして、セッ●ス=結婚
という立場。
だからゴムで逃げないし
そういう
ごまかしはしない。
ゴムをつけてすることは
良いことなんじゃなくて、
そういう選択肢も
「許されているだけ」
なんだとか。
そんな硬派な鈴木先生
やっぱりちゃんと
ナマでやるんで、
付き合った女性と
すぐにできて
結婚することになりました。
もちろん、今の時代
大人たちは
「いまどきだよね」
なんですが、一方で、
多感な中学生の子供たち
その一部の
女子たちは許しません。
「先生、最低っ!!」
そんな所から
クラス会議は始まります。
(クラス会議というより
できて結婚をするという
鈴木先生をつるし
上げるための学級裁判)
ゴムはつけるべきなのか?
なぜ、
つけなきゃならないのか?
子供が出来たら、
結婚すればいい。
そんな
なりゆきでいいのか?
男の経済的な
責任はどうするのか?
そんな議論の中で
印象的なやりとりが
ありました。
ある女子生徒が、
「ゴムを付けないなんて
女の子の体の
ことを考えていない。
それで結婚なんかして
男に、
子供を養う力がなかったら
奥さんと子供が可愛そう」
すると
ある生徒が言います。
「うちの両親は
出来ちゃった結婚だ。
当時は父親に経済力もなく
母が父をささえながら、
私も育ててくれた。
そんな私と私の母は
『かわいそう』なの?」
…
…
すごい議論ですよね。
ゴム派であろうと、
ナマ派であろうと、
できちゃた婚
※今のひとはさずかり婚
っていうけど、
あの言葉、いいよね。
賛成派であろうと、
反対派であろうと、
どの立場でもいいんですが
こういうのって、ただ
「こうするのが正しい!」
と主張してみるだけで
意図せず、相手と、
相手の両親、家庭環境
までも否定しかねない。
極端な話、
出来ちゃった婚で
すぐに男と別れて、
女手ひとつで、
わが子を育てた。
その母親と
生まれてきた生命は
「正しくない」
んでしょうか?
僕には、
答えを出すことができません。
本当に、
男女のことっていうのは
繊細です。
僕は自信を持って
合コンとかナンパとか
アプリとかを勧めるんですが
これも同じだと思うんです。
ときどき
「自然な出会い以外は
なんかガッツいているみたいで
嫌だ。みっともない」
という人がいます。
男でも、女でも。
でもね。
相当数いるはずなんですよ。
頑張って
ナンパしたり、
合コンしたり
アプリとか
パーティーとかに
行ったりして、
そこで運命の人と
出会って、
楽しく暮らしている人って。
「自然な出会い以外は
なんかガッツいているみたいで
嫌だ。みっともない」
という人に聞きたい。
じゃあ、
職場とか学校とか
あなたが言う
『自然な』かたちで
出会った人以外は、
全員
みっともない人たち
って事ですか?
あなたの友人と
そのその両親と、
彼らはみんな
みっともないのですか?
何が正しいのか?
というのは、
とても難しい問題です。
ただ、
つきつめて考えていくと
自分がどんな行動
どんな選択をしたのであれ、
その結果に
責任を持てるのか?
その結果に
(ときに、少しばかり
ヤセ我慢をしてでも)
「オレの選択は、正しかった!」
そう、胸を張って
言い切る覚悟があるのか?
そういう
結果論の部分でしか
答えを出せない問題って
多いんじゃないかな
って、最近は思います。
相沢蓮也